Fのブログ

世にありふれたフツーのブログのうちの一つ

BAD COMMUNICATION

おそようございます。

 

あたりまえのことかもしれませんが、身体的な調子が悪いとメンタルにも影響しますね。

 

最近暑いことがストレスとなって調子が悪くなっていた可能性はあります。といえどもそんな程度のことで調子を崩していたらこの先持たないので、容易に受け入れることはできません。まあ要するに何も変わっていないということです。

 

突然ですが、私は心理学が好きです。何なら工学より好きですね。

 

(間違ってたらニワカさらすことになるけど、)行動を結果と捉え、人間の本来の意思に踏み込むというスタイルが好きです。

 

自分は唯物論者なので、人間の思考や行動は何かしらの決定要因があり、それに従って出力されるものだと思っています。すなわち自由意志など無いと考えています。自由意志が無いということを認めると、社会的な責任の追求先などが揺らいでしまうことから自由意志が無いことを前面的に認めることはあまり好まれないのだと思っていますが。

 

もしも全ての決定要因が測定可能になったら、心理学は消滅し、神経科学だけが残るんですかね?それはそれで楽しみだなあ。

 

ちょっと話が逸れますが、責任という概念についても好きではないとご意見を出しておきます。"責任感"は良いと思いますが"責任"は好きではないです。なぜなら、個人の思考や行動は様々な存在の影響を受けて構成されているという考えを踏まえ、ある一定の範囲に責任を求める際の境界が不適当であるからこそ、不平不満が出現するのでは?と思うからです。責任の追求とかそこまで重要じゃないしどうでもいい(というか不可能である)から、どうやったらこの先良くなるかだけ考えて生きていこう!的なノリでいたいんですがだめですかね。だめかなあ。

 

さて、自由意志を否定することで、「どうしてこの人はこのような行動をするのだろう」と考える際に、少し気がラクになります。

 

というのも、世の中にはちくちく言葉がありふれています。身近にもいますし、生配信のコメント欄にもいます。

 

口調と内容は別のことで、同じ情報のコミュニケーションであってもなんでわざわざ強い物言いをするのだろう、ということに対する答えは、強い物言いによって自分の存在を肯定したいのでは?ということだと思います。

 

すなわち、結局は他人ではなく自分のためなんだなと考えれば、そのような物言いをする人を余裕を持って過ごせる気がします。

 

まあそれでも人間ストレスがたまれば口調は強くなるし、暴発すれば他人を深く傷つけるようなこともするものであるという事実もある程度認めています(もちろん自分もそういう経験が沢山あります)。

 

だからこそ他人に悪影響をもたらすようなことをしてしまったら、反省して撤回し、次に活かすことが最善であり、他に何もいらないのでは?と思います。それが良いコミュニケーションなのでは?とも考えています。

 

このような考えを持ったのは高校三年のときあたりです(実行し始めたのはもっと後かもしれません)。なのでそれまでは本当に本能のままにやっていたと反省しています。他人を傷つけたことに対して、それをしてしまったことよりその後すぐに謝れなかったことの方が後悔として残るのはあるあるですかね。

 

今日はこのへんで。

 

BAD COMMUNICATION

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