Fのブログ

知らなくても良いことの一つ

About me

どうもこんにちは。

 

久しぶりにブログを開きました。メンタルが逝っている時期の記事はなかなか面白いものがありました。まあこれも記録ということで残しておきましょうか。

 

今はM2ですが、選択必修的な数学の単位を昨年落としたせいで今の時期に数学の講義を受けています。どうせ資料を見れば詳しく乗っていて、出席のためだけにオンサイトで出向いている状況で、授業中暇なのでこのブログを開いた次第です。

 

B3の時期にたくさん記事を書き、それから2,3年いろいろありました。でもそれらを書くのもつまらないので書きません(回顧とは?)。

 

まあスタンスに変わりはないと思います。日々考えた、遺しておきたい内容を書き記すのみです。

 

今日はこのへんで。

博士後期課程学生の憂鬱

こんにちは。

 

 

ありえないくらい久しぶりにブログを書いています。ですが、私がブログを書くということはあまり調子が良くないということになります。

 

というのも、博士後期課程に進学したのですが、まあそれがキツいというわけです。

もともと博士後期課程には進むつもりでおり、ちょっと背伸びをして金銭的援助が充実している主専攻の入試を受けたところ、なんと合格してしまったので今に至るのです。

 

金銭的援助について、非常に助かっている次第です。学費が全額免除され、またBOOSTにも採択されたので月20万円が入ってきます。

 

では何がキツいかといえば、おおよそ二つの観点があります。

一つ目は単純に自分が博士後期の器にないということを実感した点です。評価基準はまあたくさんありますが、主に頭脳と情熱が不足していると感じます。

 

まず、指導教員の指示・指摘を十分に理解できないことが増えました。おそらく博士後期課程ということで要求も高くなっているのだろうと想像しますが、別に進学したからといって脳がグレードアップするわけではありません。それ先週議論したけど、まだそこの段階ですか?的なシチュが頻発しています。

 

情熱についてですが、そもそも一般的な博士後期課程学生の研究量をまずこなしていないと思われます(しばしばその点を指摘されます)。それでも、そこまでやろうというエネルギーは湧いてきません。自分の興味と絶妙にすれ違ったようなテーマを持っているのも問題かもしれません。もっとも、誰もが自分のやりたいことをできるというわけではないということを重々承知してはいるつもりですが、博士後期課程の研究量は義務感でこなせる域を超えているとも感じます。

 

そんなわけで、日々、なぜ自分は博士後期課程にいるのだろうという自問をしながら過ごしている次第です。

 

二つ目は、英語力が無いという点です。博士後期課程と英語は切り離せません。数少ない講義も全て英語、言うまでもなく論文も英語、ゼミも英語です。ミーティングは半英語みたいな感じでまだ助かっています。

 

というかその数少ない講義が問題です。英語でディスカッションやディベートをするような講義なのですが、これが難題です。私はTOEIC700点台のミジンコなので、まずついていくので精一杯です。その中で自分の意見を主張するなど、まともにできるはずがありません。

予習できる分は予習して臨んでいるのですが、リアルタイムなインタラクションが当然求められるので、これらはアドリブです。まともに伝わっているのかどうかさえわかりません。

さらに、一番まずい点が、他のメンバーは十分英語ができるという点です。私の主専攻はそもそも10人程度しかおらず、全員参加の講義なのですが、皆本当に優秀です。皆が当たり前に講義をこなしているのに、自分に話を振られたら講義の流れが阻害されるといった状況を何度か経験しております。割と面の皮が厚い方だとは思っていましたが、精神的にダメージを受けます。

 

そんな風に、英語力の乏しさがかなり足を引っ張っています。なんで入試受かったんですかね……?

 

以上を踏まえ、何もかも要求値に達していないという自覚を持ちつつ過ごしております。まあ博士後期課程は論文を書くかどうかなので学業不振でも特に何もないですが。そうです、学(業不)振の学生です。日々ドロップアウトすることを想定して生きています。精神を保つために、「博士後期課程 中退」とか「博士後期課程 休学」とかで調べてはブログを読んでいます。

 

たまに、本当に辞めてしまおうかと思うことがあります。自分がこのポジションにいても誰も得することはありません。正直、指導教員の時間と大学の資源と自分の寿命を浪費しているようなものと思っています。

 

それでもしがみついている理由は、博士号は魅力的だから、その程度でしかないです(あとは産総研で理想的な研究がされており、そこに就職したいという夢くらいですかね)。

 

幸いにも?私は特に上昇志向がないもので、サッパリ大学を辞めてまともに就職ができなくても生きていけるだろうと楽観的に人生を捉えています。その日暮らしも悪いものではないかもしれませんしね。

 

そんなわけで博士後期課程学生の憂鬱を記してみました。人によってはこんなに素晴らしい環境はないと思えるのかもしれませんが、私はそうではなかったというだけです。

 

今日はこのへんで。

defence matrix

おはようございます。

 

敬語を使うのが面倒になったので使わないようにする。

数学の講義を受けているが、暇である。修了単位のためだけに履修しており、正直内容も興味がない。公開されている資料を中心に進んでいくので、別に話を聞いてなくても問題ない。ただし出席をランダムな時間に取る以上座っていなくてはならない。

 

そんなわけでネットサーフィンをしていたら、J.S.ミルの他害原理に巡り合った。自分の考えとも近い側面が見出され、こうしてブログを書いている。

 

私はoverwatchが好きである。ただし、VC、チャット(ラジオチャットも含める)はすべてオフにするようになった。というのも、プレイスタイルが独特*1で、スタッツが禿げやすく、他人の反感を買いやすそうだからである。実際、かつて多種多様な暴言を吐かれまくっていたのを観測している*2

 

自分は暴言をかなり気にするタイプであると思う。小さいころから人の振る舞いを窺って生きていた。

 

一方で、自分が直接観測しなければ、よほど親交のある人*3でもない限り、何を思われようが気にならない。どんな暴言も、表示しなければ問題ない。悪口は嫌でも、陰口は構わない。何をされようが、自分が知らなければ気にしない。かつて勝手に写真を撮られTwitterに上げられた経験があるが、写真を撮ったことより自分にそれを知らせてきたことに怒りが湧いた。

 

これは他害原理と突き合わせてみれば、干渉という点を重視しているのかもしれない。自分に影響しなければどうでもよい。

 

だからこそ、嘘をつかない人が好きではない(もっとも、嘘をついているかどうかは基本的にわからないので、この主義はとくに効力を持たない)。隠し事が無い方が平和だというのは綺麗事だとも思う。

 

なので、カミングアウトみたいな最近のコンセプトが受け入れ難い。その考えは他者に危害を加えかねないと思う。知らなくても良いことはいくらでもあるのだ。

 

もっとも、これは自分の考えなので、他者に強要を迫るようなことがないようにしたいという所存である。

 

そんなことを考えながら、古典制御の授業を受けている。学部時代の記憶は可観測、不可観測という響きがかっこいいというものしかないが、これは古典制御と現代制御どっちだったか忘れた。

 

 

 

最近カオスチャイルドをプレイした。真実に迫るというコンセプトが散りばめられていてとても面白かった。私も知らなくても良いことは観測しない世界で生きていたい。案外、人間には備わっている能力かもしれないけど。

 

今日はこの辺で。

*1:シンメトラotp。それもフランク多めでダメージがあまり出ない。

*2:dps diff, suck, no brain, no mom, f u, etc

*3:片手で数えきるレベル

結局は

おはようございます。

 

 

とりあえず一曲作りました。打ち込み感がかなり残ってしまっているのが残念ポイントなのですが、DAWの性能を使いこなせてなかったり、演奏技術がなかったりするため現状改善不可能です。違和感があるのに解決できないのはもどかしいものです。

 

他にも各メロディの繋ぎ目がどうしても不自然ですね。メロディごとの雰囲気というものがなんとなくあるのですが、それを違和感なく繋げるのは本当に難しいです。というかやりたいことを詰め込んでしまった結果こうなっている可能性が否めないのですが。想像力が足りないよ。

 

 

 

メロディを作成するのは、既存の曲と被らないように気を配る点を除けば思いのほか簡単です。というのも、適当にメロディを作ろうとすると、それっぽい音の推移というものが存在します。

 

周波数を離散化して落とし込んだ鍵盤においてさえ音の選択肢は無数にあるように感じますが、それっぽい音の推移というのはせいぜい5個くらいと思っています。それで物足りなければ和音にするのですが、和音についてもそれっぽい和音というのは多くありません。逆に言えば自分の中でレパートリーが少ないということかもしれませんが。

 

これを踏まえると、メロディを状態遷移と捉えれば、状態遷移の確率分布は一様とは程遠いものだろうと考えています。となると、作曲というのは計算機で解きやすいジャンルのようにも思えます。

 

コードにも同じことが言えそうです。そもそもコード"理論"なんて名前がつくのはそういうことなんでしょうか。

 

 

しかしながら、作曲は計算機で解きにくいのではないかと思います。というのも、状態遷移の確率分布をどうやって定めるかという点が絶対的ではないからです。

 

そもそと良いメロディ/コードとは?ということです。例えば僕はEコード*1もといⅢが好きですが、それは誰にとっても当てはまるものではないでしょう。

 

/*

といっても僕はⅢはほとんどの人にとって良いコードとなりうるものと思っています。

 

例えばflavor of lifeのサビの3小節目?で出現していると思います。

A♭-B♭-G-Cm

ずばりパクリ参照元です。Gコードがマイナーでないため構成音にBがあり、そのおかげで半音上昇成分があるために良い感じに聞こえるという解釈でいいんですかね。

 

 

他にも菅田将暉の虹ではカノンっぽい進行から最後にⅢが出てきていると思います。

F-C-Dm-Am-B♭-F/A-Gm-A

正直歌詞が自分の好むところではないため全然聴いたことなかったのですが、spotifyにinstrumental verがあるのを知ってから鬼リピ(ヘビロテ?)しています。

 

このⅢの使い方は借用和音とかいうらしいです(よくわからないが)。引き込まれるような音でとても素敵です。

*/

 

別に良い(とされる)コードやメロディを使用しているということが曲として加点されるのではなく、その結果良く感じることこそが重要なのだと思っています。良いコードやメロディを使用していることは現象にすぎず、結局は人間がどう捉えるか、感じるかでしか評価ができないのではないかと考えます。そういう面で絶対的な評価関数の構築は困難を極めるでしょう。

 

 

将来的に脳*2における感覚を呼び起こす要素が可観測になり、良く感じるということを定量的に評価できるようになればまた変わるんですかね。まあそれは野暮だといわれそうですが。

 

結局書きたいことを詰め込みすぎて長文になってしまった……。何事においても詰め込みすぎる傾向があるみたいです。

 

今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ダジャレではないです

*2:脳じゃない可能性も否定できない