おそようございます。
日に日に各時間が減り、タイトルがテキトーになっていく。くだらない言葉遊びをしていたけれど余裕がなくなってきてしまいました。
突然ですが、人生は運ゲーだと少なくとも自分は思います。
といえども、自分は不運だと主張したいわけでは無く、寧ろ強運だと認識しています。世の中不平等だと思う機会は多々ありますが、それを補うほどに運に恵まれていると感じています。
人が運がいいと感じるのは、自分の支払った対価に対して釣り合わない(良い)結果が得られた時だと思います。
認知行動療法や依存症などを基に、「人間は良い思いをするために(ある程度本能的に)行動する」といった前提をもとによく物事を考えるのですが、それを踏まえると、運が良かったことは自然に、すなわちストレスなく受け入れられることなのではないかと思います。
しかし、最近自分が運が良いこと、恵まれて(過ぎて)いることに罪悪感のようなものを感じるようになってきてしまいました。
すなわち、人間というものである以上ストレスなく受け入れてよさそうなことにブレーキがかかり、ストレスに感じているということです。
恵まれている場合、それを自覚し他者に分配することが最も好ましいと思っています。しかしストレスを感じていることで他人を気遣う余裕が無くなってきていると実感しています。
明らかに矛盾しているような構造になっています。たぶん自分一人では解決できなさそうなので、心理士の方と相談し、それを解消したいと思っています。
余談?ですが心療内科の先生より(合法)薬物依存症についてのお話を聞いているときに、あなたは理性的なように見受けられるので(依存症の)心配はあまりない、と言われたのですが、自分では衝動性があるほうだと思っています。
たぶん陰キャだからですかね。まあとにかく、個人的にはカウンセリングや精神分析ってとても重要なことだと思っています。自分の思考の異常性ってある程度なにかきっかけがないと気づけないので(きっかけがあっても気づけないかもしれません)。
ストレスをため込んだり、極端な行動に出てしまったりする前に、一度精神を分析する機会が全人類にあって良いと思っています。勿論これは理想論で実際は負担が大きすぎると思いますが。
そういう意味では僕は遅かったですね。中学校に入るあたりで自分の変な部分に気づき、少しでも改善出来ていたらなあ……(笑)
まあ、しょうがないですね。取り返しのつかない事態になっていない以上、自分は恵まれていると思っています。それともこういう決めつけが良くないのかなあ。
今日はこのへんで。