光芒
おはようございます。
最近、昔行っていた小さい塾でお世話になっていた先生に会いに行きました(二年ぶりくらいに)。
お菓子を渡して多少話をして帰るつもりだったのですが、気づけば2時間話し込んでいました。何か相談事を持ち込んだわけでもなく、自然と時間が経っていた感じです。
話の中で、勉強が苦手生徒の話になりました。優秀な(≒勉強熱心な家庭の?)人は大手の塾に移るそうで、けっこうそういった勉強が苦手な方が多いらしいです。
勉強ができないくらいでなんら不当な扱いなど受けるわけでもなく、勉強何ぞできなくてもそこまで問題ないと思っているのですが、そのような人は説明書を読んだり、何か資料を読んだりして作業ができるのだろうか?的な話の展開になりました。確かに例題とか見本が目の前にあるのに同じようなことができないというのはかなり損だと思います。
何だか最近批判が中心の内容ばかり愚痴っていたような気がしているのですが、その一方?でいい時代に生まれたものだと感じている側面もあります。
自分の問題点がかなり典型的だったことなどを踏まえると、大概のことは調べることで前例を発見でき、支援を求めることである程度の対処が可能であるということは事実だと思います。
となると、それらを使おうとしない、使えない未熟者サイドに問題点があると思います。それらを使いやすくすることも必要かもしれませんが、介入できる限度には限りがあるため、どんな人でも、というのは不可能でしょう。
といえども、子ども(≒年齢的な話というよりは大人になりきれていない人々)にそこまで求めることが必要なのか?とも思います。まあ、自分がまさにその未熟者だったことで正当化したいという面もありますが、子どもの知力なんて所詮そんなもんだとも思っています。
何が言いたいかというと、世の中の役に立つ情報を利用して良く生きていくには、それなりに良識のある大人の存在が不可欠であると思っていたいということです。逆に言えば、早々に(物理的、心理的に)孤立してしまった場合、詰みに近いのでは?と思っています。露骨な物言いとなりましたが、こんなことを思うということは、つまりそういうことです。この文を付け足すことがその露骨さを増幅させていますね。
会いに行った塾の先生をもっと身近な存在と認識できていれば良かったと、今回会いに行って色々話せば話すほど感じていました。
まあこんな発見が出来ただけでも会いに行って良かったなあと思います。
話は絶妙に変わりますが、最近回復したいという意欲が薄れてきました。なんというか、すごくやりきった感を感じています。Angel Beats!なら多分消滅しています。
そんな態度を見透かされてか、同居人に「回復しようとしているように見えない」と言われ、また、このままだと取り返しのつかないことになるけど?的なことも言われました。
正直既に取返しのつかない事態にはなってしまっているのですが……。まあ何も知らない(情報を伝えてないため)のでしょうがないとは思っています。
ただし、既にというのがいつからだったのかということを考えると、early teensの時代からといっても過言ではないです。
その時に適切な行動に移せなかったことの要因を求めると、さてどこまで遡るのでしょうか。それとも5W1Hが違ってるのかもしれませんね。それは考えたくないけれども。
最近の内容は長くて惨めになっている気がします。まあそんなジメジメした内容だからこそこんなところで吐き出している側面もありますね。
今日はこのへんで。
↑1、2を争うほど好きな曲です。もうB'zはタイトルにするにはネタ切れですね……。